「健康経営」に取り組む企業が増えています。大企業のみならず中小企業においてもそれは同じ。
しかし、「社員の健康を守るのは当然のこと。それが経営とどう結びつくのか」と疑問を持つ経営者の方も少なくないようです。
健康経営とは、単に福利厚生を充実させることでも、健康診断の受診率を上げることでもありません。
社員の健康を「コスト」ではなく「投資」と捉え、組織のパフォーマンスと企業価値を高めるための経営戦略です。
この視点の転換こそが、健康経営の本質です。
日本企業が直面している「見えない損失」
まず、現状を直視してください。
「プレゼンティーイズム」の問題をご存知でしょうか。
プレゼンティーイズムとは、体調不良や心身の不調を抱えながらも出勤している状態を指します。
欠勤(アブセンティーイズム)と異なり、一見すると問題が見えにくいのが特徴です。
しかしその実態は深刻で、東京大学の研究によれば、健康問題による労働生産性の損失のうち、欠勤によるものはわずか約3割にすぎず、残りの約7割はプレゼンティーイズムによるものとされています。
社員が会社に来ているのに、本来の力を発揮できていない。
この「見えない損失」が、多くの企業の収益を静かに、しかし確実に蝕んでいます。
加えて、日本社会全体が抱える構造的な問題があります。
少子高齢化による労働人口の減少は、今後さらに加速します。
限られた人材のなかで生産性を維持・向上させるためには、
既存の社員一人ひとりのパフォーマンスを最大化するほかありません。
その意味でも、社員の健康は経営の根幹に関わるテーマなのです。
「健康経営」は企業に何をもたらすのか
健康経営に取り組む目的は、大きく三つの観点から整理できます。
第一に、生産性の向上です。
心身ともに健康な社員は、集中力・判断力・創造性のすべてにおいて高いパフォーマンスを発揮します。
逆に、睡眠不足や慢性的なストレスを抱えた状態では、同じ業務にかかる時間が増え、ミスのリスクも高まります。
健康経営は、社員のコンディションを整えることで、組織全体のアウトプットを底上げします。
これは設備投資や業務改善と同様に、経営判断として合理的な選択です。
第二に、採用力・定着率の強化です。
人材獲得競争が激化するなかで、「この会社は社員の健康を大切にしている」という評判と実績は、強力な採用ブランドになります。
特に若い世代は、給与水準だけでなく、働く環境や会社のカルチャーを重視する傾向が強まっています。
健康経営への取り組みは、そうした層への訴求力を高めるとともに、既存社員の離職防止にも直結します。
採用コストや教育コストを考えれば、定着率の改善がもたらす経済効果は決して小さくありません。
第三に、企業価値・信頼性の向上です。
「健康経営銘柄」や、「健康経営優良法人」の認定制度は、今や投資家・金融機関・取引先が企業を評価する際の指標のひとつになりつつあります。
ESG投資の観点からも、社員の健康への配慮は「S(社会)」の重要な評価軸として位置づけられています。
健康経営への取り組みは、社内だけでなく社外に向けても、企業としての姿勢と信頼性を示す手段になるのです。
「やるべきこと」から「やらなければならないこと」へ
かつて健康経営は、余裕のある大企業が取り組む「プラスアルファの施策」と見られることもありました。
しかし今や状況は変わっています。
働き方改革関連法の施行、メンタルヘルス対策の義務化、そしてコロナ禍を経た「健康」への社会的意識の高まりを背景に、健康経営は「先進的な取り組み」から「経営の基本要件」へとシフトしつつあります。
対応が遅れた企業は、人材の流出・生産性の低下・社会的評価の毀損というリスクに直面することになります。
中小企業においても同様です。規模が小さいからこそ、一人の社員が担う役割の重みは大きく、その不調が組織全体に与える影響は相対的に大きくなります。
健康経営は、大企業だけの話ではないのです。
あなたの会社では今、何人の社員が「本来の力を出せていない状態」で働いているでしょうか。
その影響は、売上・品質・顧客満足度・チームの雰囲気に、すでに現れていないでしょうか。
健康経営は、社員への「やさしさ」ではありません。
企業が持続的に成長するための、論理的かつ戦略的な選択です。
社員の健康を守ることが、結果として会社を守ることになる――この構造を理解したとき、健康経営は初めて「本物の経営戦略」として機能し始めます。
